虎の事件簿

No.30 新庄剛志FA騒動

2000年10月24日、阪神選手の寮である「虎風荘」で球団と4回目の交渉に臨んだ新庄剛志はFA宣言をし、他球団の交渉を受ける意向を明らかにした。
球団はこれまで残留を強く求め、4年契約7億円の好条件を提示していた。この日の交渉では更に金額面で上積みを提示したと思われるが、新庄は「とりあえず聞いただけ」。


新庄は8月5日にFA権を取得。その少し前の7月18日に野崎専務が新庄と1回目の交渉を行っている。9月末に行われた2回目の交渉では4年7億を提示。10月上旬の3回目の交渉で、球団側は新庄に条件設定をゆだねた。
10月7日には新庄がFA権の行使を示唆し「チームが弱いと面白くない。強いところがいい。」と発言していた。


FA宣言してすぐには横浜ベイスターズ移籍が濃厚と報じられる。
というのも「野球をやめたい」と発言し契約更改交渉を難航させた1995年に、新庄は行きたい球団として横浜の名前を挙げていた。また2000年7月の球宴ではセのコーチを務めた当時横浜の権藤監督に「獲って下さい」と冗談交じりに話しかけたそうだ。そして横浜には婚約者・大河内志保さんの実家もあるという。
当時の新庄は「獲得に動く他球団とすべて交渉するのか?」という質問に「それはない。自分の権利だから。(希望する)球団名は言えない。どこが来るか分からないから。セ、パのこだわりはある」と答えている。


FA宣言期間が始まった10月30日、新庄はさっそく権利行使の意思を表明、球団に書類を提出。そして自身のホームページ(当時は shinjo5.net)にこう記した。

「阪神の新庄」とか「虎の新庄」だから応援するんだという方は、これから阪神タイガースだけを応援してください。僕は、そのようなファンは本当の僕のファンだとは思わない。

11月1日、新庄は東西対抗戦に西軍の二番・中堅でスタメン出場。
ここで試合前にオリックス・仰木監督が「本人に確認したら"交渉に応じる"と言っていた」と発言し物議を醸した。新庄と各球団との交渉解禁は10日から。ルール上仰木監督の発言はタンパリング(事前交渉)とも取られかねないもの。オリックスの矢野球団本部長は「新庄の獲得は考えていない」と否定するのに必死だったという。


2日のプロ野球コンベンションの席では、横浜・石井琢朗選手と同じテーブルにつき30分にわたり談笑。3日の日米野球では、試合前のキャッチボールをした横浜・金城龍彦選手に「一緒にやれたらいいね」と漏らしたらしい。
交渉解禁前日の9日には、横浜が、阪神入団当初から新庄が希望していた背番号「1」を用意していることが明らかになり、横浜・野口善男チーム編成担当取締役は「さわやかな感じでウチのチームカラーに合った選手だし、阪神よりウチの野球の方が新庄君には合う。」とラブコールをおくった。
この頃は誰の目にも、新庄と横浜の相思相愛のように見えていた。


しかし交渉解禁日の10日、横浜・野口氏が新庄の携帯電話に何度も電話したがつながらなかった。結局夜の8時には連絡を断念したという。
それもそのはず、携帯電話が鳴っているのに気づいても新庄が出なかったのだ。「番号?それが誰のか分からなかったから・・・」と新庄。それは11日も同様で、やっと連絡が取れた12日に決まった交渉日は3週間後の12月6日だった。


そうこうするうちに14日にはヤクルトスワローズの参戦が明らかになる。当初、相思相愛と見られた横浜との交渉があまりにスローであるために、付け入る隙ありと見ての参戦だ。
新庄は15日には「JCB・MEP賞」に出席し横浜・鈴木尚典選手と談笑。横浜・森新監督の「茶髪禁止令」について「茶髪は駄目なの?」と鈴木選手に聞いたらしい。またヤクルトから接触があったことが明らかになり、横浜との交渉日も11月22日に変更になった。


一方、阪神・野村監督は新庄残留説得への直接出馬を拒否。そして新庄のスローペース交渉に「本当はドラフト前に決まっていないと指名順位にも影響がある。両球団(横浜と阪神)の編成にも迷惑がかかる。」と苦言を呈した。


2日間連絡がとれなかった横浜とは対照的に、ヤクルトはあっさり11月20日に交渉することが決定。「3年契約、総額5億円」「背番号1」がヤクルト側の提示だ。この頃は一転して「"ヤクルト・新庄"20日決める」などと新聞には書かれていた。
「横浜ではなくヤクルトと最初に交渉したのは?」という質問に新庄は「特別意味がない。僕自身も早く聞いてみたかったので、こういう日程になりました。」と答えている。


「強いチームに行きたいというのは不賛成。虫がよすぎる。自分で優勝させればいいんだ。それより金が欲しいと言って出ていく方がいい」(田宮謙次郎OB会長)
「騒がれるのは阪神だからというのはある。大スターだけど、大選手じゃない。」(江夏豊氏)


ヤクルトとの初交渉後には「好印象をもちました。」と新庄。
一方、横浜との初交渉後には「凄く楽しかった」と笑顔を見せた。
これまで横浜・森監督は秋季キャンプ中に「現場としては投手が欲しい」「新庄に何十億も出さんだろ」などと発言。そのうえ金城選手の中堅コンバート案を公表するなど"新庄不要論"とも受け取れる言動を重ねてきた。今回の交渉で横浜・野口取締役はこれらの発言について「監督の本心ではない」と釈明。
さらに森監督が「髪を茶色や緑にすることが個性じゃない」と茶髪禁止の方針を打ち出していることについて野口取締役は「別に"茶髪は駄目だ!"という言い方はしていないよ。」とフォロー。最後には「自分の顔を鏡に映してみればどの球団が自分に一番合うか分かるだろう」と言ったらしい。
この時点で、新庄自身「阪神との残留交渉は今のところ考えていない」と話し、横浜とヤクルトの一騎打ちと思われていた。


11月23日、新庄は阪神のファン感謝デーに出席。この日、阪神・野崎専務と5度目の交渉が行われたが交渉は平行線。その席で「阪神にいたらあまりにも僕にマスコミ攻勢が集中して精神的につらい」と告白。そして移籍について「白紙」と語る一方で「ヤクルトとは会うつもり。横浜には電話をしないと。」とヤクルト移籍に気持ちが傾斜している現状を示唆した。


25日には横浜・黒江ヘッドが「新庄はいらない。横浜に来ない方がいいだろう。うまいのは守備だけだからな。」と問題発言。フロントが獲得に動く一方で現場首脳陣が不要論を明言したことで横浜入りの可能性が更に少なくなった。
「あれくらいの選手を獲るところがあるのか?ヤクルト?生意気な!せっかく阪神で人気が出たんだから、阪神が強くなるように阪神でやらないと。」(川上哲治氏)


27日には新庄は阪神選手会の納会に出席。しかし新庄は「白紙」と繰り返すのみで、ヤクルト・丸山編成部長も「連絡はなく2回目の交渉は未定」と話す。29日、球団の納会に出席した際も新庄はノーコメントを貫いた。


12月2日、ヤクルトとの2回目の交渉が6日に行われることが明らかになり、今度は「"ヤクルト新庄"6日誕生も」などと紙面に書かれた。
一方、阪神では中込伸投手が契約更改の席で、自分の背番号を「1」から「55」に変更することを球団に申し入れた。「1」は新庄が希望している背番号。「プリンス(新庄)にあげるということですよ。新庄が残留したら譲ったかいもある。」と中込投手。いい人すぎる。


6日、ヤクルトとの2回目の交渉を終えた新庄は「今回も凄く高い評価をしてもらいました。"欲しい"とか全部がうれしい言葉でした」と笑顔を連発。しかし交渉にあたったヤクルト・丸山編成部長は、この記者会見を見て「わけ分かんないよ。オレと話している感じと全然違う。」と首をひねる。
交渉中、背番号「1」の話題になると新庄はすぐに話題を趣味のゴルフに切り替えたという。結局「期限が1月31日までありますから」との返答で、ヤクルト側の期待する答えは出なかったという。
「新庄?いてほしい選手ですけど、はっきり言ってどうでもいい。それよりも川崎(当時、川崎は移籍を前提としたFA宣言中)。勝ちたいのであればあれだけのいいピッチャーを手放す手はない。」(ヤクルト・高津投手)


阪神との次の交渉が12月11日に決定。その直前、9日から10日未明までかけて新庄は西宮市内の叔父さん宅を訪れ「親族会議」を行う。
そして10日に叔父・竹中さんが新庄の進路が決まったことを発表。「決まりましたが、私の口から申し上げるわけにはいきません。彼が自分の口で言うことになりましたので・・・。私から彼に言ったのは"自分の力を試してみろ"と"挑戦してこい"です。私の思いは彼に伝えました。」
FA宣言から一貫して阪神残留を勧めてきた竹中氏であったが、最後は「挑戦してこい」と甥を激励したという。


新庄の母・文子さんは、福岡市の実家で「移籍するんだったら向こうに渡るしかないという気がしていた」と話した。
実は11月7日に日米野球で福岡ドームに行った際、帰省した新庄は「今の状況をすべて忘れてやり直すにはアメリカしかない」と話していたそうで、息子を案じる母は「まだ結婚もしていないし。向こうへ行って駄目だったらまた帰ってくればいいんですよ。」 と続けたそうだ。


そして12月11日、新庄は大阪市内のホテルで会見。

「やっと自分の考える野球のできる環境が見つかりました。その球団は、ニューヨーク・メッツです。」

阪神・横浜・ヤクルトの3球団を振り回した約1ヶ月半におよぶ騒動に、ようやくピリオドが打たれた。


「今の言葉で言うと"自己チュー"、自己中心的になる。人間関係が希薄になっている。(メジャーは)自分の夢だとか何とか言ってるけど、今までの感謝や恩義はみじんも感じられない。若者気質で好きなことばかりやっていては恩義のみじんもない。」(阪神・野村克也監督)
「前から本人はメジャーに行きたいとは言っていて、こっちも知ってはいたけど、それは言えなかった。本人が決めたことだからしようがない。」(阪神・山田勝彦捕手)
「残念だね。彼はいろいろ可能性を持ったやつ。大丈夫かなと思うことでもやってしまうという超人的なところがある。だから個人的には楽しみ。でも、チームとしては非常に痛い。そんなにうちを出たかったのかな。」(阪神・和田豊選手)
「ほんまですか。予感もなかった。来年も一緒にやってほしかった。メジャーでもやれるでしょ。イチローが行くからオレも行くというのじゃないはず。悩んでいたから。FAを行使して元のサヤに収まるのが嫌だったんじゃないですか。」(阪神・藪恵壹投手)


「今までのあれ(騒ぎ)は何だったんや。川崎みたいに(メジャーからの)オファーが来るまで返事を待ってほしいと言えばいいものを。獲りにいったヤクルトや横浜に失礼や。もてあそぶようなことはするな。」(中日・星野仙一監督)
「新庄?知らん。メッツ?ふーん。隠れてやっていたのか。愛着のある球団でやるのがいいんだけどなあ。」(川島コミッショナー)


「ああそう。ボビー(バレンタイン監督)でしょ。やっぱりイチローの影響があるのかもしれないなあ。ボビーは日本をよく知っているからねえ。新庄の場合はよく分からないけど、難しい問題だね。スター選手がみんな出ていっちゃうのはね・・・。」(巨人・長嶋茂雄監督)
「えっ、本当なの?そんな話なかったのになあ。問題は打つ方かな。イチローと比べるとかわいそうかもしれないけど、米国に行ってもう1回勉強するつもりで頑張ってほしい。」(ダイエー・王貞治監督)


「本当ですか?行きたい人はそうやってどんどん(メジャーに)行けばいいんですよ。」(ヤクルト・石井一久投手)
「夢を追ってのことだろうが、苦労するだろう。イチローも同じだが、苦労覚悟で挑戦するんだろうな。 日本で世話になったことを忘れないでほしい。」(広島・山本浩ニ監督)
「リスクを背負って挑戦するわけだから、彼の成功を祈るしかない。ただ、来季の阪神にとっては大きな痛手だ。いずれにしろ戦力的にも興行的にも新庄の抜けた穴は大きい。」(中村勝広氏)


そして12月16日新庄は海を渡り、18日にはメッツと正式契約。
新居には家賃月額約50万円のマンハッタンの一等地にある高層マンションの47階の部屋が既に決定。家賃は全額メッツが負担するそうだ。メッツ入りが決まった頃には「結婚はない」とマスコミに語っていたが、24日には9年越しの交際を続けてきた大河内志保さんと、二人が出会った思い出の石垣島で挙式することに。しかし、新生活に志保さんは同行せず、新庄は単身赴任するそうで新婚生活が始まるのはまだ先になるという。


自身の公式ホームページで「FAの件」と題して新庄は次のように語った。

もし、日本の球団に残っていたとしたら100%後悔したと思う。(中略)はっきりいって、(阪神に)甘やかされて育てられた・・・。メジャーの道を歩き始めた僕を見守っていてください。」

大河内志保(おおこうち・しほ)

1971年10月31日東京生まれ/O型
1990年秋日航キャンペーンガール、1991年夏には第18代クラリオンガールに選ばれ芸能界デビュー。クラリオンのCMでは「Good-bye My Loneliness」を歌っていた。
1993年1月、テレビの仕事で沖縄・石垣島で自主トレを行っていた新庄を訪れ、一緒にクルージングしたのが交際のきっかけ。新庄との交際発覚を機にタレント活動を縮小、実質的な"引退"状態となる。結婚を機に、それまで新庄の母が社長をつとめていたゴーゴーエンタープライズ(新庄の著作権などを管理する会社)の社長に就任したらしい。
新庄は毎年のように何か目標をたて、それをクリアしたら結婚すると言っていたが、なかなか達成できず、ゴールインまでは長い道のりだった。


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