虎の事件簿

No.29 元阪神メイの威嚇暴投

2000年7月6日、巨人―阪神11回戦(東京ドーム)。巨人先発のダレル・メイ投手が前年まで在籍した阪神と新たな遺恨を自ら作った。


阪神・福原忍、巨人・メイで始まったこの試合、2回に新庄剛志選手の暴投で巨人に先制を許し、5回にはメイのヒットを皮切りに得点される。一方阪神は、メイの前に沈黙状態。
3点ビハインドで迎えた7回に事件は起こった。


7回表先頭打者として代打・和田豊が打席に入る。簡単に2―0と追い込まれ、間を取るために和田が2度打席を外した。そしてようやく足場を固めて構えたかと思ったら、和田はタイムを要求し、再度打席を外した。
すでに投球モーションに入っていたメイが、一瞬モーションを止めたかと思われたが、次の瞬間には、打席から2、3歩離れた和田に向かって球を投げつけたのだ。
メイの投げた球は、和田の顔面をかすめバックネット前に転がった。のけぞって球をよけた和田はメイをにらみつける。三塁を守っていた江藤も真っ青な顔で慌ててマウンドに駆け寄る。


阪神側が抗議せず、審判も故意とは認めなかったため、試合はそのまま続行された。そして阪神はメイに13三振を奪われ、6−1と完敗する。
しかし試合後、メイはあの投球が威嚇行為であったことを認める。
「2回くらいはいいと思うが、それ以上やられるとこっちもムキになる。あれはきれいなプレーじゃない。アメリカでは3回以上やると、故意に威嚇することがある。あれは当てるというより威嚇。ホームベースを狙ったのかって? to him(彼をめがけた)だ」。


「インプレーでやられると、外国人はアンフェアだと言ってよくやるんです。アメリカでしょっちゅう見てきましたから。狙った?それはどうでしょう。狙って投げたら当たってるでしょう。」(巨人・長嶋監督)
「こっちだって1打席に命を懸けているんだ。完全にぶつけにきてたよ。そんな人間じゃないと思っていたのに。」(阪神・和田)


このメイの投球に対し、ノーコメントを通した橘高球審に代わって責任審判の谷三塁塁審が「危険な行為じゃないと判断した。(故意に打席を外す)打者も悪い。阪神からクレームもなかった。故意なら退場。モーションに入っていたので、そのままいけっていう感じだったと判断した。」と説明。しかしメイの発言を伝え聞くと「わざと?それはいかんね。いったんノーペナルティーと判断したから。阪神が抗議文なりを出すかもしれないが、あとは上(連盟)の判断です。」と困惑した表情で話した。


降板後には巨人・鹿取投手コーチから厳重な注意を受け平静を取り戻したというメイだが、「あれは許されない行為。ボールという武器を使って、和田を目掛けて投げているんだから。」という試合後の阪神・野村監督の談話を聞くと再び過激に反応。「向こう(阪神)は汚い。(野村監督とは)性が合わない。オレは自分のやり方をこれからも通す。」と吐き捨てたそうだ。


ちなみにメイと阪神の遺恨は今に始まったものではない。
最初はまだ阪神に在籍していた1999年7月18日、メイは判定を不服とし一塁塁審に暴行し退場。翌日2週間の出場停止処分を受ける。その出場停止の間に「歯の治療を受ける」という理由で、ガールフレンド同伴でグアムへ。5日間にわたり練習していなかった事実が発覚し、野村監督が「使わない」と通告した。
その後ファーム暮らしに不服だったメイは8月8日、鳴尾浜で野村監督を批判する文書を報道陣に配布。事態を重く見た球団は、シーズン中の謹慎と年俸の5分の1の罰金を科した。そしてメイはシーズン後自由契約となり、巨人に入団したのだ。


敵チームの一員となった2000年4月12日、甲子園で巨人・メイと阪神の初対決が行われた。試合はメイに軍配が上がるが、この試合中、メイは左手の指につばをつけたことを審判に注意された後、マウンド上で意図的に手をなめる仕草。阪神・伊原春樹コーチは審判に「退場させろ」と詰め寄った経緯がある。


ダレル・メイ(Darrell May)

1972年6月13日生まれ/左投左打/アメリカ・カリフォルニア出身
サクラメント市立大−ブレーブス−パイレーツ−エンゼルス−阪神(98)−巨人(00)
1998年のオープン戦終了間際に阪神に入団。阪神在籍中は、ローテーションの中心として投げたが、1年目は21試合に登板し4勝9敗で防御率は3.47。2年目は18試合に登板し6勝7敗で防御率は4.25。監督批判をやった挙句に阪神を退団、巨人へ入団する。
実は1998年オフにも大リーグ再挑戦を表明し、それがダメそうとなると阪神との契約を更新。その一連の言動に野村監督が「日本野球をナメている」と怒った経緯もあり、性格的には問題アリと早くから見られていた。
巨人移籍後は、強力打線に守られてか2年連続フタ桁勝利をあげたが、最終的には長嶋監督の投手起用に不満を持ちメジャー復帰を希望、2001年限りで退団した。


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