虎の事件簿

No.28 渡辺省三スカウトの自殺

1998年8月31日午後1時15分ごろ、当時、阪神タイガースのスカウト職にあった渡辺省三氏が、神戸市中央区のビルから転落死した。
現場に争ったあとが無いことなどから警察は自殺と判断した。


渡辺省三氏は1933年2月26日生まれ。愛媛県の出身だ。6歳のとき軍属として徴用された父とともに朝鮮に渡り平壌工へ。終戦ののち帰国し西条中へ入学すると野球をはじめたそうだ。倉敷レーヨン西条で軟式野球をやっていたが、1951年10月に阪神タイガースの入団テストを受け合格、プロ野球選手となる。
1年目は二軍暮らしをしていた渡辺だったが、入団2年目の年、コントロールの良さが買われ、打撃投手として鹿児島・鴨池のキャンプに参加。
キャンプ打ち上げ直前の紅白戦で、当時エースの梶岡忠義投手の右手の甲に死球を当ててしまい、梶岡の急場しのぎの代役としてオープン戦で投げたところ、好結果。一軍昇格となった。


1953年一軍にあがった年から2桁勝利をおさめ、その後も次第に勝ち数も増やした。1956年には22勝を挙げ、防御率1.45で最優秀防御率のタイトルを獲った。1958年には開幕投手もつとめ、主力投手として1965年まで活躍した。13シーズンの長きにわたってマウンドにあがり、550試合に登板、134勝96敗、防御率は2.44の好成績を残している。


引退後は阪神の二軍コーチなどを経験した後スカウトに。25年間にわたり九州地区を担当し名スカウトとして活躍した。
渡辺氏が獲得した選手には次のようなそうそうたるメンバーが並ぶ。
亀新フィーバーで阪神ファンをわかせた新庄剛志選手や亀山努選手
のちにFAでロッテへ移籍した沖縄出身の仲田幸司投手
のちにトレードでオリックスへ移籍した後その優勝に貢献した野田浩司投手
ロッテに移籍後阪神に戻り再び一花咲かせた遠山昭治投手
ユーティリティプレイヤーとして2003年の優勝にも貢献した田中秀太選手
これらの選手を本拠地甲子園から離れた九州地区で、こまめに発掘してきたのだ。


渡辺氏が亡くなったことを、その日新庄は亀山からの電話で知ったという。そして試合では渡辺氏にささげる1本のアーチをはなった。
「今、プロで仕事をしているのも、渡辺さんがボクを見つけてくださったからです。」(新庄)
その1年後には、遠山が好投、チームの逆転劇を呼び勝利投手となった。
「田舎の学校によく足を運んでくれましたね。こういう日に勝ててうれしいです。渡辺さんに勝たせてもらったのかもしれないですね。」(遠山)


1998年の11月には、ドラフト指名した選手の獲得交渉にあたっていたオリックスの球団編成部長がビルから転落死した事件があった。また2004年には、スカウトの一場靖弘投手への金銭授受問題でオーナーが辞任する事件も起きている。
スポットライトの当たるプロ野球という舞台の裏側では、まだまだ我々の知らないさまざまな事情があるのかもしれない。


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