虎の事件簿

No.27 阪神-巨人戦、両軍から退場者が出た乱闘

1998年8月2日、伝統の阪神−巨人戦で、両軍のコーチが相次いで退場となる真夏の乱闘劇が行われた。


阪神・メイ、巨人・岡島秀樹の両先発ではじまったこの試合。初回に巨人・広澤克実のタイムリーなどで2点を先制されるものの、ハンセンの本塁打などで追いつき、2−2で迎えた8回表に最初の事件はおこった。


二死三塁、高橋由伸の打席、投手・吉田豊彦の投げた初球が、高橋の右手に当たった。ここで興奮した巨人・武上四郎コーチがベンチを飛び出し阪神・矢野輝弘捕手の胸を小突く。当然のことながら武上コーチは退場。その後、阪神はパスボールで勝ち越しを許してしまう。
(高橋の死球について)「あれはよけ切れない球じゃない」(阪神・吉田豊)


しかしそのすぐ裏、阪神は逆転に成功する。今岡誠のセンター前ヒット、桧山進次郎と八木裕が四球でつなぎ二死ながらも満塁のチャンス。そしてハンセンの打球は、ライト・高橋の前にポトリと落ちる2点タイムリーヒット!新庄剛志がトドメの三塁打をはなち6−3と巨人をつきはなす。六甲颪の大合唱の中、乱闘劇第2幕が始まる。


二死三塁、打席は矢野。巨人の守護神・槙原寛己の投げたボールは矢野の背中に当たる。仕返しか?!三塁ベースコーチに立っていた大熊忠義コーチがマウンドに走る。そして槙原に飛び蹴りを食らわす。そして両軍入り乱れての乱闘劇。騒ぎにまぎれてファン3人もグラウンドに乱入する始末。当然ながら大熊コーチも退場となる。渡田球審は槙原の投球を故意とみなして両チームに危険投球の警告を発した。


「インコースに投げただけ。死球のたびに殴られてたら野球をやってられない。」(巨人・槙原)
「あれは野球用語で言う"見え見え"というやつ。」(阪神・大熊コーチ)
「落ち着いていましたよ。狙われた?そうですね。」(阪神・矢野捕手)
「監督、コーチは選手を守る義務がある。お互い選手生命をかけてやる中で選手をかばってああいうことになった。」(阪神・吉田監督)
「(槙原の矢野への死球は)当てにいっていた。あの状況ではだれが見ても分かる。(報復行為に乱闘と)もう野球じゃない部分があった」(渡田球審)


試合は結局、最後をリベラがきっちりしめて、6−3で阪神の勝利。吉田義男監督の監督1000試合出場を勝利で飾った。後日、巨人・武上コーチ、阪神・大熊コーチは、ともに出場停止3試合、制裁金30万円の処分を受けた。
なお、この3連戦の第1戦では、巨人・ガルベス投手が審判にボールを投げつけ退場かつ今季出場停止の処分を受けている。試合内容とは別のことで大荒れとなった3連戦であった。


ちなみに、阪神-巨人戦で両軍から退場者が出たのは、1968年9月18日の「バッキー、荒川殴り合い」以来、30年ぶり2度目の不祥事となる。


武上四郎(たけがみ・しろう)

宮崎大宮高−中大−河合楽器−サンケイ・アトムズ(1966一次ドラフト8位)
1年目に2割9分9厘の高打率(打撃成績6位)を残し、阪神・江夏豊(12勝13敗、防御率2・74)を上回る評価を得て新人王を獲得。闘志を前面に出すプレーから「けんか四郎」と呼ばれた。9年間の現役生活で977試合に出場し、71本塁打、301打点、打率2割6分6厘。75年に現役引退。コーチを経てヤクルト監督、パドレス客員コーチ、巨人コーチと歴任した後、評論家に。2002年8月肝不全で亡くなる。

大熊忠義(おおくま・ただよし)

浪商−近畿大(中退)−阪急/現役引退後、阪急、阪神の守備走塁コーチを担当
現役時代は世界の盗塁王・福本をアシストする2番打者として活躍。1977年にはゴールデングラブ賞を受賞。阪急黄金時代を支えた、山田久志、山口高志、加藤秀司と4人で「ああ!王者」という歌もリリース。2003年にはマスターズリーグの開幕セレモニーで君が代を熱唱した。

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