No.23 掛布雅之の野球人生を変えた死球
1986年4月20日対中日戦(ナゴヤ球場)六回表、掛布雅之は斉藤学投手から左手首に死球を受けて転倒、そのまま退場した。この瞬間、連続試合出場記録は663でストップしてしまう。
診断の結果は左大菱形骨骨折で、掛布は約1ヶ月間戦線を離脱することになる。
後日、責任を感じた斉藤は、花束を持って掛布を見舞っている。
掛布は5月16日対中日戦で復帰するが、5月27日対巨人戦(甲子園)九回表、イレギュラーした強い打球を右肩に受けてしまう。その後、精密検査を受けた結果、右肩関節挫傷と診断され、またしても約1ヶ月間戦線を離脱することになる。
2度の大きなリタイヤもあり、掛布はこのシーズン67試合しか出場できず、打率.252、本塁打9、打点34という寂しい成績に終わった。
翌年1987年も腰痛のため6月2日に登録抹消されて約1ヶ月間離脱。1988年にも7月中旬に腰痛が悪化して戦線を離脱。治療を続けながら二軍で体調の回復に専念したが、状態は芳しくなかった。
そして、掛布は「これ以上チームに迷惑はかけられない」と退団を決意。9月14日、大阪・梅田のホテル阪神で現役引退を正式発表した。この時、掛布はまだ33歳であった。
掛布は持病の腰痛を抱えていたが、中日・斉藤から受けた死球以降、急激に打力が低下。結果的に、あの死球が野球人生を短命に終わらせる原因になったと言えるのではないだろうか。そう思っている阪神ファンは少なく無い。
なお、掛布は自身の公式サイトで、死球の件について尋ねられて、こう答えている。
斉藤学(さいとう・まなぶ)
1963年8月12日生まれ/右投右打/茨城出身
下妻一高−青学大−中日−ダイエー
1986年のドラフト1位で中日に入団。プロ初登板は1986年4月18日の阪神戦(ナゴヤ)。1990年3月に山中潔捕手とのトレードでダイエーへ移籍。プロ初勝利は移籍後の1991年4月16日ロッテ戦。1997年に現役を引退、2001年からダイエーの二軍コーチ、2003年からは一軍投手コーチを担当。現役時代の通算成績は135試合に登板し、7勝10敗3S、防御率5.53。
1988年の某選手名鑑には「想い出のシーン」として「一昨年の阪神戦で掛布さんに死球を与えたこと」と書いている。
