No.22 醜い敬遠合戦
1984年、セ・リーグの本塁打王は、掛布雅之と中日ドラゴンズの宇野勝が争っていた。互いに37本で並び、阪神、中日ともに2試合残していた。
ところが、運命の悪戯か、この残り2試合は10月3日に行われる中日-阪神(ナゴヤ球場)と10月5日に行われる阪神-中日(甲子園)で、阪神と中日が対戦する試合だった。
宇野は8月だけで15本も本塁打を放って、一気に本塁打王争いのトップに躍り出た。一方の掛布は、7月までで26本を記録、8月25日対大洋戦で2打席連続本塁打を放って31本とし、宇野と本塁打数が並んだが、その後9月に入って本塁打がなかなか出ず、宇野に差をつけられたまま残り10試合を切った。
しかし、掛布は9月22日から4試合連続本塁打を放って、ついに宇野に追いつく。そして、10月3日の中日-阪神戦を迎えた。
ところが、阪神投手陣は宇野との勝負を避け、中日投手陣も同様に掛布との勝負を避け、結局お互い5打席連続四球で、掛布、宇野ともに一球も打たせてもらえなかった。
最終戦の10月5日、甲子園で行われた阪神-中日戦でも敬遠合戦は続き、掛布、宇野が打席に入るたびに"弱虫コール"がスタンドから巻き起こった。
結局、この試合も互いに5打席連続四球となり、2試合で10打席連続四球という、決して喜べないプロ野球記録が生まれてしまった。
試合終了後の掛布のコメントは下記のとおり
試合終了後の宇野のコメントは下記のとおり
結局このシーズンは、掛布と宇野が同じ37本で本塁打王に輝いた。
野球ファンとすれば、正々堂々と勝負してほしいという思いは強かったはず。しかし両軍とも消化試合という状態では、勝負よりも個人成績が優先されてしまうのは致し方無かったと言える。
なお、この試合は敬遠合戦が繰り広げられたこともあり、ファンのストレスが増幅。さらに試合は阪神が逆転負けをしたことで、ファンの怒りが爆発。試合終了後に大勢のファンがなだれ込み、甲子園は無法地帯と化してしまった。
宇野勝(うの・まさる)
1958年5月30日生まれ/右投右打/内野手
銚子商−中日(1976年ドラフト3位)−ロッテ(1993年オフ移籍)/あだなは「うーやん」
遊撃手ながら豪快なスイングでホームランを量産した。18年の現役生活ではなったホームランは338本。1988年には落合博満とクリーンアップを打ち中日のリーグ優勝に貢献。
失策が多く、1988年までに7度も失策王に輝いている。巨人戦での「ヘディング」失策はテレビ番組で何度も放送になり有名である。
引退後マスターズリーグでは「名古屋80’Dsers」で活躍、首位打者に輝いた。
