No.20 江本孟紀の「ベンチがアホやから」
1981年8月26日対ヤクルト戦19回戦(甲子園)、阪神タイガースの先発江本孟紀は7回まで好投。4−1で阪神が勝っていた。
しかし8回表、3連打を浴び1点差に迫られ、なおも二死二塁のピンチで、打席には8番水谷新太郎を迎えた。
江本孟紀はこの時34歳。投球数は154球だった。
野球において投手の代え時は難しい。
この試合で江本は7回まで好投していた。
8回に連打による失点だったため、投手交代のタイミングを逃したと言える。
そして1点差になってから江本を交代させては、その後のリリーフが打たれて江本の勝ち投手の権利を無くしてしまうケースが考えられる。それなら江本続投だとベンチは考えたのか、動かなかった。
一方、江本は8番水谷を迎え、一塁が空いていることから、敬遠策をベンチに打診。だが指示は何も無く、江本は水谷と勝負することに。
水谷は2球目をライト前ヒットし、ヤクルトは4−4の同点に追いついた。江本はここで降板。なんともやり切れない気持ちだったと推測される。
試合後、江本は新聞記者の取材に応じ、不満の弁を残したようだ。
そして翌日のスポーツ新聞を見て、江本はビックリ仰天する。どの新聞も一面で江本が「ベンチがアホやから、野球はでけへん」と批判したという記事を掲載。
同日午後、江本は球団事務所を訪れ、小津球団社長に対し、新聞に掲載されているような発言はしていないと弁明した。
しかし、球団側は江本の言い分を聞き入れず、新聞の一面を騒がした責任をとる形で江本は退団、そのまま現役を引退した。
江本孟紀(えもと・たけのり)
1947年7月22日生まれ/右投右打/
高知商業−法政大−熊谷組−東映フライヤーズ−南海−阪神
高校3年のときに甲子園出場が決まるも出場辞退。ドラフト外で東映フライヤーズに入団し、すぐに南海ホークスへ移籍。その年には16勝をあげ、1973年には日本シリーズにも出場。1979年には入江マチ子さんとデュエット曲「恋する御堂筋」をリリース。引退後「プロ野球を10倍楽しく見る方法」を出版、ベストセラーとなる。
