No.17 佐野仙好、フェンス激突事件
1977年4月29日 対大洋戦3回戦(川崎)、阪神1点リードで迎えた9回裏、大洋の攻撃。1アウト後7番福島久晃捕手がレフト前ヒットで出塁すると、代走に野口善男が起用される。
そして8番江尻亮の代打・清水透は、阪神・山本和行のストレートを痛打。打球はレフトフェンスぎりぎりのところまで伸びた。
しかし背走した佐野仙好はこれを好捕。が、佐野はフェンス方向に体の向きをむけたまま、頭部、顔面をコンクリートのフェンスに激突してしまう。
それでもボールは落とさず、捕球を確認した田中俊幸レフト線審(当時は審判6人制で、外野に線審が居た)はアウトを宣告した。
ところが、佐野はボールを捕球したままの状態でグラウンドにうずくまっている。
センターを守っていた池辺巌をはじめ、心配した阪神ナインが佐野のもとに集まる。
実は佐野はこの激突により、頭蓋骨を骨折して失神していたのだった。
この間に、一塁走者野口はタッチアップしたあと、ダイヤモンドを駆け抜け、ホームイン。プレーは止まっておらず、7−7の同点になってしまう。
これに対し、当時の吉田義男監督は平光清主審に抗議。
吉田監督は「突発事故によりプレーができなくなった場合、主審はタイムをかけなければならない。野口のホームインは認められない」と主張。
しかし、平光主審は「審判員はプレーの進行中にタイムを宣告してはならない」と抗議を受け付けない。抗議は34分続いたが、連盟提訴を条件に試合は続行。結局9回時間切れ引き分けに終わった。
本来であれば、佐野の失神に気付いた他の選手がグラブからボールを取り出して内野に返球すべきだったのだろうが・・・。
佐野の事故について重く見た当時の金子コミッショナーは、フェンスにラバーなどの危険防止措置がとられていない仙台、川崎、大阪、日生、広島、平和台や試合が行われる地方球場に対して、早急にラバーを取り付けるように要請するとともに、野球規則委員会に対して、危険防止のための規則を検討するよう指示。新たに下記の規則が加えられた。
なお、佐野は外野まで入ってきた救急車に収容され、川崎市の太田総合病院に運ばれた。約1週間は危険な状態が続き、退院したのは1ヶ月後の5月31日。試合に復帰したのは、7月3日対ヤクルト戦(甲子園)。その第1打席で、佐野は安田猛投手からホームランを放ち、自ら復帰戦を祝った。
