虎の事件簿

No.14 池田純一、世紀の落球

1973年8月5日対巨人戦(甲子園)、九回表二死一塁三塁、阪神のマウンドには3回途中から登板した江夏豊。阪神が2−1でリードしていた。巨人のバッター黒江透修の一打はセンターへ。池田純一外野手の守備範囲の打球。誰もがゲームセットと思った。
しかし、次の瞬間信じられないシーンを目にする。
捕球しようとグラブを差し出した池田がそのまま仰向けに転倒。倒れつつ、やってくる飛球に向け左手のグラブを差し出すが、わずかに届かず、ボールは無人のセンターフェンスに向かって転がる。二走者がホームインして巨人が逆転。その裏、阪神は三者凡退に討ち取られて、2−3で敗れた。
この年1973年、阪神はあと1勝ができずに優勝を逃している。そのせいもあってか、この池田のプレーは、以後「世紀の落球」(記録上は三塁打)と語り継がれることになる。


試合が行われた8月5日。この時期、甲子園の外野の芝はひどく荒れており、ところどころ芝がはげているところがあった。池田が転倒したのは、芝がはげた窪みに足をとられたためである。
スポーツ番組で、このシーンを振り返った時「あのプレーさえなければ」と、ことさら強調して報道したため、池田は優勝を逃したスケープゴートに祭り上げられた感がある。
この年は、金田監督 暴行事件のようにチーム内に不協和音があったり、フロント、現場を含めて球団をあげて優勝を勝ち取ろうという態勢がどこか欠けていた感があった。


30年近く経った後、このプレーについて、今どう思っているかを尋ねられた池田は、こう答えている。(後藤正治著 「牙 - 江夏豊とその時代」より)

いまはこう思っていますね。だれにも消せることなら消したい過去があるだろう。消しゴムで消せるものならそれを消し去りたい。 でもそれは実は消すべきものではなくて、そこに大切なものがあるんだよということでしょうか。そこにこだわりつつ、試練を受け止めて新たな出発をするなかにあなた自身があるんですよということでしょうか。うまくいえませんが。

このプレーが起きたのは130試合中78試合目。優勝争いが佳境に入るのは、まだ先の話である。
しかし、「世紀の落球」という報道のされ方により、池田のその後の人生に苦しみを与え続けてしまったのは、残念でならない。


池田純一(いけだ・じゅんいち)

1946年5月15日生まれ/八代東高
右投左打/外野手/背番号7
1965年に入団。八代東高の3年時、東京オリンピックが開かれた年に夏の甲子園に出場。4番でピッチャーを務め、開会式直後の1回戦、静岡・掛川西高と対戦し、延長18回まで投げ合って引き分けている。なお再試合で敗れた。
法政大、巨人からの誘いの声もあったが、一番熱心に誘ってくれた阪神を選択。
1970年7月29日対ヤクルト戦(甲子園)、延長十三回裏、一死満塁の場面で鎌田実の代打で登場し、見事に史上三人目となる代打満塁サヨナラ本塁打を放った。
また、名前を"純一"から"祥浩"に改名した1971年にはチーム唯一のサヨナラ本塁打を放つなど勝負強いバッティングが印象的。
当時の記者による人物評は、温厚、生真面目、好青年。
1978年、自由契約となって阪神を退団した。

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