虎の事件簿

No.13 金田正泰監督 暴行事件

1972年10月25日、兼任監督だった村山実は、投手業に専念するため監督を辞任。そしてシーズン途中から指揮権を託されていた金田正泰が監督に就任した。
しかし、金田監督の人間性に問題があったのか、2度の監督暴行事件が発生してしまう。


第1の暴行事件は、1973年3月のオープン戦が行われていた頃に発生した。
滋賀県皇子山球場でチームはバッティング練習を行っていた。
外野の守備に加わっていた投手の鈴木皖武(きよたけ)が、練習が終わってベンチに戻ると、金田監督が記者やファンが居る前で鈴木に対し「お前、守っとる横にボールがあったのに、何で拾わんのじゃ」と怒鳴った。
しかし、鈴木は近くにボールがあったことに全然気付いていなかったらしく、この発言に対してカチンと来た。
そして数日後、ミーティングの途中でも鈴木をなじるような発言があり、鈴木の金田監督に対する怒りは日に日に増すばかりだった。
シーズン中の起用法に対しても鈴木は不満が積もり、ついに8月、遠征先の名古屋で怒りが爆発。酔った勢いで監督の部屋へ行き、不満を並べたあげく、金田監督めがけて、灰皿を投げつけ、まともに殴りかかった。
この暴行事件の結果、鈴木は1ヶ月の謹慎処分となっている。


第2の暴行事件はシーズンオフのファン感謝デーの日に発生した。
1973年5月、遠征先の広島で権藤正利は江夏豊らと共に昼食のあとでパチンコをしに出かけた。
権藤らがホテルに戻ってくると、ロビー横の喫茶室に金田監督がおり、権藤が持ちかえった景品のショートホープを見て「おい、サルでも煙草を吸うんか」とからかった。その場は江夏らが権藤をなだめたので、事無きをえたが、権藤は口惜しさのあまり涙したという。
その後も権藤は我慢を強いられることが続いたが、ついに我慢の限界に。
ファン感謝デーの1973年11月23日、監督室で金田監督と二人っきりになった権藤は暴行を加える。金田は眼鏡が吹っ飛んで鼻血を流してうずくまっていたという。
権藤は、まもなく20年投手として連盟表彰されるはずだったが、この一件でそれを棒に振り、そのまま引退した。


金田監督にとって、1973年はこの2度の暴行事件に加え、ペナントレースでは、あと1勝で優勝というところまで行きながら、最終戦に敗れて巨人のV9を許すなど、屈辱的な年だったに違いない。


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