虎の事件簿

No.10 阪神2度目の放棄試合

1967年9月23日 対大洋戦(甲子園)一回表、大洋が3点を奪い、なおも二死満塁。打席には9番の投手・森中千香良が入った。カウント2−0から阪神先発バッキーの投じた3球目を森中は空振り。大谷泰司球審は右手を上げて三振のゼスチャーをした。
この際、キャッチャーの和田徹はショートバウンドしたボールを捕球し、ベンチに引き揚げる森中を三歩ほど追ったが、森中にタッチはせず、ホームベースも踏まず、また一塁の送球もせずに、ボールをマウンドのほうに転がして、ベンチに引き揚げた。


この和田のプレーを見た大洋ベンチは、帰りかけていた森中に対し、一塁へ走るように指示するとともに、三塁ランナー松原誠にも本塁突入を指示。得点が認められた。
ここでタイムがかかり、大谷球審は一塁側の阪神ベンチに出向いて藤本定義監督に「今のはスリーストライクのゼスチャーであり、アウトの成立は認めていない」と言い、阪神に再び守備につくように命じた。
しかし藤本定義監督は「それはおかしい。スリーアウトと言ったじゃないか。だから和田はタッチを諦めて、引き揚げたんだ」と反論。後藤次男コーチ、山田伝コーチを交えて、激しく抗議し、大谷球審の胸を2度3度突いた。


試合が中断してから約33分後の午後7時45分、ようやく試合再開のプレーボールがかかったが、それに先立ち、大谷球審が「抗議のはじめに暴行を働いた藤本監督を退場、それを条件に試合を再開する」と説明。これに再び阪神ナインは態度を硬化。
その後も審判団は阪神に守備につくように説得し続けたが、阪神は試合続行を拒否し続けた。
結局、中断してから約1時間後の午後8時10分に、没収試合(フォーフィッテッドゲーム:球団初の放棄試合となった大阪球場事件のページを参照)が宣告されるという最悪の事態となり、観衆848人に入場料が払い戻された。
この阪神による放棄試合は、阪神史上初の放棄試合となった大阪球場事件以来13年ぶりプロ野球史上5度目で、阪神にとって2度目。


なお、セ・リーグは10月3日に考査委員会を開いて、阪神タイガースおよび藤本定義監督、さらに藤本監督退場後に指揮を任された後藤次男コーチを厳重戒告の処分に対し、藤本監督にはさらに五万円の制裁金を科した。


優勝が決まった日 思い出のゲーム サヨナラゲーム 虎の事件簿 写真館