No.7 村山実 涙の退場
1963年8月11日対巨人戦(後楽園)、1−1の同点で迎えた七回裏、一死ニ塁三塁のピンチに、本間勝に代わって、村山実がリリーフのマウンドに立った。
バッターは池沢義行、2−2のカウントから村山は内角低めにストレートを投げ込む。村山は絶対の自信でストライクと思ったが、球審・国友正一の手はあがらなかった。
ボールと判定された村山は血相を変えてマウンドを下り、国友球審に対し「何を見てるんだ! ばかやろう!」と激しい口調で抗議。これに耐えかねた国友球審は即座に退場コールをする。
驚いた村山はグラブを振り上げた。
この動作に対し、国友球審は村山が殴りかかろうとしたと勘違いし、それをよけようと手を前に出す。
運の悪いことに、この手が村山の顔に当たってしまう。
藤本定義監督、青田昇コーチがベンチから飛び出してきて、国友球審を追い詰める騒ぎにまで発展した。
村山は「手もあげてないのに、なぜワシが退場なんや」とボロボロと涙を流しながら抗議を続けた。これが後に「村山実、涙の退場事件」として語り草となる。
結局、退場の判定は覆らず、村山は打者に対する投球を完了することなく退場となった。
なお、試合は延長10回、阪神が3−2で勝利している。
村山実(むらやま・みのる)
1936年12月10日生まれ/右投右打/住友工−関西大−阪神
入団1年目から活躍。阪神が優勝した1962年には25勝を挙げて、MVPに選出された。通算成績222勝147敗、2271奪三振。最多勝2回、沢村賞3回、ベストナイン3回など数々のタイトルを獲得し、2代目ミスタータイガースと呼ばれた。
村山の全力投球、全身を使ってのピッチングは、ヘルシンキオリンピックのマラソン優勝者、人間機関車と呼ばれたザトペックを彷彿させたことから、「ザトペック投法」と呼ばれた。
村山がつけていた背番号11は永久欠番となっており、1993年に殿堂入り。
1998年8月22日、癌のため、この世を去られた。
