選手名鑑 2006年
藤川 球児(ふじかわ きゅうじ)
- 投手(中継ぎ)
- 1980年7月21日生
- 右投げ左打ち
- 高知県出身
- 高知商高
- 1998年ドラフト1位
2004年は、名前の「きゅうじ」をもじった92番をつけていたが、2005年のシーズンから背番号を22番に変更した。
「球児」という名前は、藤川投手が生まれる数日前に父親が草野球でノーヒットノーランをしたことに由来しているという。
小学3年の時、少年野球の小高坂ホワイトウルフに入団。その頃から他の投手と球の速さが全然違ったらしい。中学3年の時、川に転落した男性の救助活動を同級生3人とともに救助活動を行い、高知署から感謝状を受け取った経験を持つ。
高校2年の夏、兄・順一さんとバッテリーを組んで甲子園出場を果たし、兄弟バッテリーで話題を呼んだ。
入団以来、故障や不調で悩んでいたが、2004年に山口高志2軍投手コーチ(当時)のアドバイスで、軸足の右足に重心を残して上から投げ下ろす投球フォームに変え、そして今まで以上にトレーニングを積んだことから球速がアップ。ストレートは頻繁に150キロを超えるようになる。
岡田彰布監督は「20球だけなら球界ナンバーワンの速球を投げる。」と自分の目を信じ、藤川投手にセットアッパーの役割を期待したという。そして、藤川投手はその期待に見事に応え、2005年はセットアッパーとして大車輪の働きを見せ、年間登板数80試合の日本新記録を樹立し、セ・リーグの最優秀中継ぎ投手に輝き、セ・リーグ優勝に大きく貢献した。
2005年シーズン途中から、J・ウィリアムス投手(J)、藤川投手(F)、久保田投手(K)の3人のイニシャルを並べて、勝利の方程式「JFK」(ちなみに、JFKとはアメリカ第35代大統領ジョン・フィッツジェラルド・ケネディのこと)と呼ばれた。
2006年に初めて開催されたWBC(ワールド・ベースボール・クラシック)の日本代表に選出され、1次リーグ対台湾戦では最後の打者となった同僚の林威助選手と対戦し、レフトフライに打ち取った。
にんじん、きゅうりが苦手。歯並びはあまり良くない。タレント広末涼子さんとは中学時代の同級生。

