1985年ドラフト6位で阪急に指名される。阪神にはテストで合格して1998年からプレー。2000年オフに引退し、2001年から2軍内野守備走塁コーチ、2003年から3軍コーチに就任した。 1995年の日本シリーズ第2戦では試合終盤に代走出場。3塁にいた時に、浅いレフトフライだったため、コーチに制止されてタッチアップできなかったことが、今でも悔いに残っているらしい。
2004年10月25日に退団。
同年10月27日、中日の守備・走塁コーチに就任。(中日は落合監督の方針により、コーチの1、2軍を振り分けていない)
|